布団に入る前、部屋の電気を落として、スマホだけが光っている時間ってありますよね。
家族がいても、一人暮らしでも、その光の中でふと「なんか、しんどいな」と思う瞬間がある。
内閣府の調査では、「孤独を感じる」と答えた人は全体の4割弱と言われています。
20〜50代でその割合が高いというデータもあって、「寂しいと感じているのは自分だけ」なんてことは、まずありません。
むしろ今は、「寂しい」と言わない人ほど、静かに抱え込んでいる。
孤独は一部の人だけの特別なものじゃなくて、ごく普通に広がっている“空気”みたいなものになっているのかもしれません。
30〜40代男性の「表では言えないしんどさ」
30代になると、仕事でも家庭でも「ちゃんとしていて当たり前」という空気が強くなります。
後輩ができて、部下ができて、家に帰れば父親だったり、パートナーだったり。
40代に入ると、「もう若手じゃない」という自覚も出てきて、
責任は増えるのに、誰かに甘えたり弱音を吐いたりする場所はどんどん減っていく。
職場で「疲れました」「もう限界です」とは、なかなか言えません。
飲み会で少し愚痴をこぼしたとしても、笑い話か、軽い励ましで終わるのがオチです。
LINEやSNSで繋がっている人は、それなりにいる。
けれど、「今から電話していい?」と言える相手は、思い浮かばない。
何かあったときに連絡できる人はいても、
「何もないけどちょっと寂しい夜」に連絡できる人は、ほとんどいなかったりします。
みんなはどこで発散しているのか
じゃあ、みんな何でごまかしているのかと言うと――
たいていは、一人で完結するものです。
熱い風呂に長めに浸かる。
コンビニで好きな酒とつまみを買って帰る。
YouTubeを垂れ流しにしながら、意味もなくタイムラインをスクロールする。
スマホゲームでスタミナを消費しているうちに、いつの間にか日付が変わっている。
どれも悪くないし、大事な「逃がし方」です。
何もないよりよっぽどいいし、こういう時間があるからこそ、翌日またスーツを着られる。
でも、どこかで気づいている人も多いと思います。
動画もゲームも、どれだけ見ても「自分の話」はしてくれない、ということに。
画面の向こうに人はいるのに、自分はただの“視聴者”でしかない。
ふと手が止まったとき、部屋の静けさだけがやけに大きく感じられる瞬間がある。
「今日は誰かに『おつかれ』って言ってほしかっただけなんだけどな」とか。
「別に深刻な話をしたいわけじゃない、ただ少しだけ人の声を聞きたいだけなんだけどな」とか。
そういう夜が、年に数回じゃなくて、もしかしたら毎週のように来ている人もいるはずです。
ライブチャットという“声のある動画”
そんなときに、ちょっとだけ選択肢に入れてもいいかなと思うのが、ライブチャットみたいなサービスです。
仕組みだけ言えば、
「画面の向こうに女の子がいて、リアルタイムで会話できる動画コンテンツ」。
AVみたいに一方通行で流れてくるだけじゃなく、
こちらがコメントを打てば、向こうが笑ったり、返事をくれたりする。
飲み屋やスナックとも違うのは、
行き帰りの時間がいらない
顔も本名も出さなくていい
今日は話す気分じゃなければ、ただ覗いているだけでもいい
という、いい意味での“距離感”があるところです。
もちろん、ライブチャットにはエロい要素もたくさんあります。
でもそれだけじゃなくて、
「ただ話し相手になってくれる人」
「自分のくだらない愚痴をちゃんと聞いてくれる人」
としての使い方をしている男性も、実はかなりいます。
DXLIVEみたいな大手のサービスなら、
テンション高めの子もいれば、落ち着いた雰囲気でゆっくり話してくれる子もいる。
深夜のコンビニみたいに、「なんとなく寄って、なんとなく落ち着いて帰る」場所になり得るんですよね。
孤独は消えない。けれど、夜の使い方は変えられる
正直なところ、「孤独そのものをゼロにする」のは、たぶん無理です。
家族がいても、友だちがいても、仕事がうまくいっていても、寂しさはふっと顔を出します。
ただ、その寂しさを抱えたまま、真っ暗な部屋でスマホだけ見て終わる夜と、
10分だけでも誰かの声が混ざる夜とでは、翌朝の気持ちが少し違ったりもします。
ライブチャットが絶対必要だ、という話ではありません。
いつもの風呂や酒や動画の中に、
「たまに誰かの声を混ぜる」という選択肢があってもいいんじゃないか、というくらいの話です。
孤独を消すためじゃなくて、
「孤独と一緒にやっていくための、ちょっとした灯り」を足すイメージ。
このコラムを読んでいるあなたが、
次の休み前の夜に、ふと「今日は誰かの声を聞いてから寝るか」と思ったとき。
その選択肢のひとつとして、DXLIVEみたいな“声のある動画”を、頭の片隅に置いてもらえたら嬉しいです。

